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玄米茶の歴史


玄米茶のルーツは2説あるとされています。戦前、京都の茶商が鏡開きの際に出る餅くずを勿体ないと考え、これを煎って茶葉に混ぜた説と、精進料理において炊飯後釜についたカリカリの飯粒をお茶に入れた説。

お米を捨てることなく全ていただき、当たり前のように行ってきた「無駄を出さない」+「食べ残しを出さない」ためのやさしい工夫と知恵が、今日の玄米茶に継がれていると考えられています。


米食の起源、日本人は弥生式時代とも縄文式時代ともいわれる太古の時代から農耕民族として「お米」を主食としてきました。その「お米」の食べ方「粒食・粉食」という形態が、飲料として「お茶」へ進化したのが「玄米茶」。

精進料理や茶の湯の教えでもある禅語、“喫茶去(きっさこ)”とは、人と人との触れ合いの暖かさを伝える言葉。「まぁ、お茶でも飲んでいきなさいよ」ふっと日常の慌ただしさを忘れさせてくれる、自分と静かに向き合える極上のリラックスタイム。いわばお茶を介して深まる“茶縁”のチカラ。

日本の歴史に裏付けられた生活、喫茶去や茶縁という文化は、これからも持続可能なライフスタイルとして大切に伝えていきたいものです。


禅語にある「米一粒 須弥山の如し」。「米一粒」は、元の一粒が稲に育ち、実って一粒になったもの。「須弥山」とは宇宙のこと。この米一粒の中に宇宙の根幹から繋がる恵みが凝縮されているということを意味するのだそうです。

「一粒米一片菜一滴水」。葉や野菜は「一片菜(いっぺんさい)」、水は「一滴水(いってきすい)」。水は大気の中で雨となって大地に降り、また大気に戻っていく。そういう循環の中で、水は成り立っている。その中の一滴を私たちがいただくのです。

そう知ると、宇宙の始まりから繋がる大地の恵みを感じ、一粒のお米も一枚の葉も一滴の水も無駄にしない食材を余すことなくいただく精進料理の心と、玄米茶の心得は類縁していると考えられます。